寺院紹介

 宇品は千田貞暁県令(今の県知事)によって明治22年に埋め立て工事や築港が完成しましたが、それから以後の定住者として、広く瀬戸内の島嶼部(とうしょぶ)の人たちを迎えました。蒲刈や能美・江田島の人たちで、熱心な浄土真宗の門徒でありました。築港に先立ち、明治21年に千田県令が願主となり宇品説教場が建設され、聞法や法務もできる受け入れ態勢を整えました。それが現在の千暁寺の起源となります。

 その後、宇品は日清・日露戦争の大陸への出征基地となり、宇品説教場は西本願寺の出張所にもなりました。現在、千暁寺本堂の外陣正面に掲げてられている本願寺第21代門主の書かれた「護仏種性(ごぶつしゅじょう)」の額は、これを記念として西本願寺から下付されたものです

 

 

 そして明治45年に地縁のある日下教譲(初代住職)が専任教師として迎えられ、昭和5年に寺号が公認されました。その寺号は、願主である千田貞暁県令の名を顕彰するということで「千暁寺」と命名されました。そして本堂建設の声が上がり、昭和10年に現在の本堂(八間四面・外陣八十畳)が完成しました。

 昭和20年8月6日に原爆が広島に投下され、千暁寺の本堂・庫裏も焼け残りはしたものの半壊状態となり、応急修理後数度にわたって修復の手を加えてきました。

 

 その後、昭和49年に旧山門を鐘楼門にし、同61年には本格的な本堂修復および内陣荘厳の事業がなされ、平成11年から第3代住職継職記念事業として、門信徒会館・庫裏の建設が行われ、平成23年、親鸞聖人750回大遠忌法要を記念して新納骨堂「真如堂」ができました。

 宇品は現在、高速道路が出来、マンションやスーパーなども建設されて急速に発展しています。その宇品の千暁寺としてこれからも地元に密着したお寺でありたいと願っています。